わかりあおうとしすぎないこと
家族、恋人、夫婦、長く一緒に暮らしている誰か。
近しい関係だからこそ、傷つけたくないし、わかってもらいたい。
でも
「わかってくれるはず」
「こうしてくれるべき」
という気持ちがふくらむと、いつのまにか、境界は曖昧になり、息苦しくなっていきます。
「つい、相手の言葉に反応してしまった」
「どうせ言っても伝わらないと、あきらめてしまった」
「一緒にいたいのに、話すとすれ違ってしまう」
そんなふうに感じるときこそ、 そっと境界を引いてみる ことで、関係が静かにほどけていくことがあります。
すべてを話さなくても、ちゃんと一緒にいられる
パートナーとの関係で、「ちゃんと話そうよ」「言ってくれなきゃわからない」と思うことがあります。
でも実は、すべてを言葉で埋めなくてもいい関係というのも、たしかに存在します。
◎すぐには伝えず、いったん寝かせてみる
◎話さずに、同じ部屋で黙ってお茶を飲む
◎どう思っているかより、どう過ごしているかを見る
「言葉で全部わかり合う」ことをゴールにしないだけで、ふたりの間に、呼吸できる隙間が生まれることがあります。
それが、境界です。
反応しすぎない、という選択肢
相手の機嫌、言葉づかい、ちょっとした態度。
すぐに気づいて、反応して、なんとかしようとしてしまう。
そんなとき、 反応しないこと=無関心ではなく、自分を守る境界 と考えてみてください。
◎不機嫌そうでも、あえて「何かあったの?」とは聞かない
◎きつい言い方をされても、すぐに返さず、少し間を置く
◎「ちゃんと話し合わなきゃ」と思いすぎない
気まずさの中にも、 そっと距離を取ることのやさしさ があります。
言い返さなかったことで、数時間後にやわらかく言葉が交わせることもある。
境界とは、「すぐに何かしない」という選択でもあるのです。
「共感できないこともある」から、関係は続いていく
相手の考えがわからない。
「なんでそうなるの?」と戸惑ってしまう。
でも、その違和感は、 相手が「他人」であることを思い出させてくれる大切な手がかり です。
◎「わたしなら、そうはしないな」と思ったら、そこで一度止まってみる
◎無理に共感せず「そういうふうに考えるんだね」とだけ返す
共感しようとしすぎると、 理解できない自分を責めてしまう ことがあります。
でも、相手のことは半分しかわかり合えない前提で関係を結ぶなら、共感できないことさえ、ふたりの間に静かに置いておけるのです。
境界は、ふたりの間の「呼吸の間」
「わたしがちゃんと話さないと」
「相手に寄り添わないと」
そう思いすぎる関係は、どちらかが息を止めてしまいます。
境界をもつとは「ちょうどよい距離」を選びなおすこと。
すべてを共有しなくても、ちゃんと一緒にいられる関係 に、そっと戻っていくことです。
今日からできる、小さな実践
*共感できないとき、「そう思うんだね」とだけ言ってみる
*なにかを伝える前に、「ちょっと、あとで話してもいい?」と一呼吸おいてみる
*無言の時間を、自分のせいにしないで過ごしてみる
言葉で埋め尽くそうとしなくても、ふたりのあいだには、ちゃんとあたたかさが残ります。
最後に
「わかってくれない」と思ったとき。
その奥にあるのは、もしかすると「わかりあえなかったとしても、一緒にいたい」という願いかもしれません。
境界とは、その願いを守るために引く線です。
ちょうどよい距離で、つながり続けるために。